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北森ペット病院


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2017年12月

2017年12月31日 (日)

今年のfavourite song

こんにちは。北森ペット病院・北森です。当院ブログに来ていただき、感謝いたします。


さて、皆さんも、自身のgreat journyには、伴奏曲が必要ですよね!私は、毎年この時期、1年を振り返って、今年を飾ってくれた曲達を思い出とともにpick upして、今一度聴きなおすのですが、


そんなjwelsを今日は紹介致します。


① The willard,  Romancer

② David Bowie, Starman, Rockn roll suicide, Space Oddity

③ Bruckner, Symphonies No.7 (Karajan)

④ Wagner, Parsifal oveture (Knappertsbusch)

⑤  Mahler, Symphonies No.3 (Bermstein)



クラッシックは、歌詞が無い分、イメージが限定されないのか、色あせませんね。③、④、⑤は、この10年、変わらずfavouriteです。心の中に王国を作ってくれます。


以前もどこかで書いたけど、③の第二楽章は、第三帝国崩壊の時、ハンブルグ放送が流した楽章です。2011年、震災の時、しばらく歌舞音曲の自粛ムードが漂ってましたが、私が知りうる限り、震災後初めてTVの音楽放送で流れた曲でもあります。


NHK教育・・・・N響アワーでした。本来は、⑤がラインナップされていたのですが、この曲に差し替えられました。ブルックナーが、尊敬するワグナーに捧げた葬送曲。私は番組担当者が意識して差し替えたと確信してます。


①、②はロックです。


ロック、POPSには3種類あると思います。


まず、自分自身や、自身と社会との葛藤を歌うもの・・・・・中島みゆきとか遠藤ミチロウとか・・・・現代詞にも通じ、芸術に昇華するタイプの歌です。聴く方にとっては曲ではなく、もはや事件になりえます。


次に、時代の風景を歌うもの・・・・ユーミンとかサザンとかです。良い意味での大衆音楽で、町とともに歌い継がれていくものです。聴き方にとって、思い出になる曲です。


そして・・・・・・これは、後で書きます。


30歳くらいまでは、一番目のタイプをこよなく愛してましたが、今はあまり聞きません。二番目のタイプのものは、都会の音楽という感じで、もともとあまり聞きませんでした。


そして三番目のタイプですが、聴き方にとって、ロマン主義的な高揚感と陶酔を与えてくれる曲です。


①や②がそれです。


①は今年の曲で、2時間ぐらいエンドレスでかけても飽きません。②はボウイの、もう古い曲達ですね。


①はカルトな曲なので、まずyoutubeでは拾えません。


②のBowieのstarmanは様々なバージョンが上がってますが、私はこの演奏が好きです。リストの強いドラマーとエキゾチックなスキンヘッドの女性べーシストの奏でるリズムはたまりません。

https://www.youtube.com/watch?v=KZFymsD8MQE

Rockn roll suicideは、発売当時のバージョンが好きですね。

https://www.youtube.com/watch?v=CD1nzOeS6U0




Space OddityはYESのRick Wakeman のクラッシックバージョンで

https://www.youtube.com/watch?v=u4PxjNE7zv4



①や②は、私にとって、航海における、夜空の星ぼし。神秘であり、道しるべですね。



皆さんは、どんな曲を航海の友にしていますか?


(最近、 SEKA OWAの曲も良く聞きます。彼らの曲はとにかく音圧がすごいですね。おかげで昔聞いていたパンクロックが演歌に聞こえますから。彼らの音は、親父世代の古き良き時代の思い出を、粉々に吹っ飛ばすKillerな音です。彼ら、いろんなタイプの曲がかけると思います。器用ですね。結構聴いてます。)

Imgp2794

炎と森のカーニバル

https://www.youtube.com/watch?v=w9V3x61D994

2017年12月30日 (土)

A Harf Century Boy

こんにちは。北森ペット病院・北森です。当院ブログに来ていただき、感謝いたします。


今日は独り言です。


実は、今年は、自分にとって記念すべき年(歳)でした。あえて言いませんが、タイトルからわかりますね。


思えば、30数年前のある日、ある作家の『フロンティアを探せ』の一言との出会いが、私の人生を変えました。


高校は進学校で成績もある程度優秀で、大学の選択肢は多々ありましたが、自分が一体何者になりたいのかわからず、日々悩んでしました、本当に・・・・苦しかったです。決して、初めから獣医学部を選択していたわけではありませんでしたし、理科も、生物は選択していませんでした。


告白すると、一度受験に失敗していますが、初年度は獣医学部を受けたわけではありません。なにせ直前までバンド活動が楽しく、受験に(将来に)しっかり向き合っていませんでした。適当に選んだ学部の受験当日も、合格したらどうしよう~と逆に悩んでいたのくらいですから・・・・・ちなみに仲間は、『お前、ロッカーになるんじゃないの?』って言ってましたね。そう言えば大学の時もそんな風に言われたことがあります・・・・おかしいな~。


それで、見事に受験に失敗し(逆によかったんですね)浪人していた頃、『バイオ』という言葉が出始め・・・・今で言うと『AI』ですかね・・・・その奇妙な英単語に、私は、とても魅惑を感じていました。


それで、上記の作家の言葉との出会いです。


バイオとフロンティアという言葉が結びついた瞬間です。生命現象の解明にフロンティアがある・・・・・それで動物好きでもあった私は、獣医学部を受験することに決めたのです。


直感でしたね。


今でも、獣医学部を受験しようと思ったあの日の事を鮮明に覚えています(わざわざ写真館で写真をとったくらいですから・・・後述)。


幸いにも2浪はせずにすみました。


大学でも、とにかくフロンティアが私のキーワードで、研究室も、当時、もしかしたら獣医で世界で初めてノーベル賞を取るのではないかと言われた先生の系列に入り最先端の研究をしました。細胞内情報伝達系の解析・・・・・とにかくフロンティアでした。



紆余曲折があって現在に至りますが、直感のあの日から今まで、一直線に何かが繋がっているような気がしています。


不謹慎かもしれませんが、病気の新しい知見、新薬の開発、独創的な医療機器・・・まさに私の周りで、新しい世界が毎日のように湧き出て広がって行きます・・・・今だフロンティアに立っているという感覚が私を覚醒させます。


あの時のまま・・・・・・・A Harf Century Boy・・・・・・・です。

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決断のあの日の思いを封じ込めた一枚(受験の願書に使用しました)


2017

合格の記念に買ったセカンドバック(死語?)。ロンシャン 当時 6万だったな~。有り金すべてはたいて、広島そごうの1階のショップで買いました。ケース棚の3段目にありましたね。いまだ健在です。

201713

Harf Century boy (笑)




2017年12月29日 (金)

インフォームドコンセント①

こんにちは。北森ペット病院・北森です。当院ブログに来ていただき、感謝いたします。


今日は、インフォームドコンセントについてのお話です。この話題については、色々考えることが多いので、おそらく今後、何度も何度も取り上げると思います。


さて、動物病院のHPでは、『インフォームドコンセントを大切に』してとか、あるいは飼い主さんが病院を評価する際に『あそこはインフォームドコンセントがしっかりしている』とか、よく見たり聞いたりすると思いますが、


インフォームドコンセントってそもそも成立しずらいと考えていた方が、身のためです。

お互いに。


20世紀の発見の一つに、物(現象)があって言葉があるのでがなく、言葉があって物(現象)があるというものがあります。はじめに物(現象)があるので出なくて、人の認識が、物(現象)を、言葉で世界から切り出していくという考え方ですね。


つまり、認識が問題なのですから、言葉の存在性や意味は、民族や生活環境の違いによって変わるということですね。


例えば、良くある喩に、日本にはデビルフィッシュはいませんし、アメリカには肩こりはありません。日本は様々な天候を表す言葉がありますが、非常に稀有な民族といわれてますね。虹も5色の民族がいます。ネットなんて言葉も、90歳近い私の親父にとっては、『網』ですしね。


つまり、あなたと私の使う言葉がまったく同じ意味を持つなんてとても言えない上に、時に非日常の言葉で、世界を説明する医療用語が、いつも正確に伝わるなんて、安易に言えますか?しかも、時として、緊張と不安の中で。


以前、ずーとかかられていた・・・・つまり相応のやりとりがあった・・・・この間、我々は、互いに『間』や『言葉作法』や『論理のすり合わせ』のやりとりを交わし、コミュニケーションの齟齬を少なくし、誤解を防ごうとするのですが、


このようなシーンがありました。


私 『これは悪性腫瘍ですね。』

患者 『よかった、癌じゃないんですね。』

驚きましたね。


毎回、お二人で来院され、同じ話を聞いているはずのご夫婦なのに、一方の方が、『そんな話聞いていない』なんて激怒し、それをパートナーが『それは前に先生が言ったよ』なんてなだめるシーンなんてしばしば・・・・本当にしばしばあります。


我々の世代は、昔、やりましたね。伝言ゲーム。単純な短いセンテンスでも、伝わらないものなんですよね。


もう一度書きますが、インフォームドコンセントを簡単なものと考えていたら大きな間違いをおかしますからね。


現場では、『命』がかかっていますので、肝に銘じてください。


インフォームドコンセントが簡単に成立すると思った瞬間が、一番危険なのです。

2017年12月28日 (木)

医療情報

こんにちは。北森ペット病院・北森です。当院ブログに来ていただき、感謝いたします。


本日は、ちょっとした医療情報を掲載します。


人の眼科の情報です。最近、眼科を集中的に勉強していて、たまたま人医が読む医療ジャーナルの情報として知りました。


この件は、私も知らなかったのですが、このように、意外と知られていない体に悪いこと(一般的な食事も含めて)多いんですよね。我々もそうですが、あまり言うと、関係会社から訴えられかねませんからね。私も一度、某有名なんちゃってノミ駆除薬・フード販売会社から脅されたことがありますからね。



バンジージャンプで失明


https://www.yodosha.co.jp/rnote/trivia/trivia_9784758115926.html


ま、私は、そもそも、しませんけどね。

2017年12月27日 (水)

動物病院の医療設備②

こんにちは北森ペット病院・北森です。当院ブログに来て頂き、感謝いたします。


今日は、動物病院の医療設備についての続きです。


生物の世界では、よく知られた現象に、ポジティブフィードバックという反応があります。刺激が刺激を呼ぶ・・・・恥ずかしくて顔が赤くなって、それを意識・指摘されてさらに赤くなって・・・みたいな反応です。自分では制御できない反応です。


これは生体反応ですが、


病院経営のプロの会計・税理士事務所の方々とお話をすると、時にこれと同じような反応が病院経営現場で起こっていることを教えてくれます。


非常に単純化しますが、


一大決心をして、少し背伸びして(高いけど)飼い主の為に素晴らしい機械を入れると・・・・・単なる『高価』なではなく、『素晴らしい』機械だと認識できるというのはまだ持っていない段階からの未来への学習投資が必要なんです・・・・・・・良い仕事が出来て顧客が増え増収し、それを原資に、次の機械が導入され、また良い仕事ができて・・・・・・それが顧客を増やし・・・・・・それが繰り返されるらしいです。まさにポジティブフィードバック・・・・・そういう循環が形成されるそうです。


増収(利益)が目的ではなく、良い仕事をしたいという動機が、最初の刺激であるのがミソだと思います。


逆に、まったく設備投資をしない先生が、飼い主さんに負担をかけたくないからうちは安価だし(高額な検査をしないから)、設備投資しないんだよという話をよくされますが、こういう病院では、逆のポジティブフィードバックがかかります(あえて書きませんが)。


この場合、安価にやりたいというのが最初の刺激ですが、この考え方は確かに医療経済学的には顧客にやさしいく思われますが、実はすり替えがあって、他えば私の知り合いの先生は、もっとも高価と思われるCT検査を非常に安価に行っています。つまり最初の刺激が、ただただ良い仕事がしたいのであれば、料金自体を安価にすることは実は可能なんです(非常に単純化しましたが)。


設備投資・・・・仕事の『道具』の増やすことですが、


私達人間は、動物と違い、意識して自然を観察し、道具を作って自然を認識し(計量化、測定)、そして働きかけて、世界を拡大してきました。


私たちの仕事に置き換えると、病気を捉えようとする意識(日々の学習)、道具を使った自然の認識(医療設備)、自然への働きかけ(薬や手術)となるわけですが、全てのピースが揃った時、我々は獣医師としてより高みに進化するのだと信じています。

2017年12月26日 (火)

動物病院の医療設備

こんにちは北森ペット病院・北森です。当院ブログに来て頂き、感謝いたします。


今日は、動物病院の医療設備についてです。


約10年前、世界的な内視鏡メーカーが、国内おける動物病院の医療機器の設備投資についての意識調査を実施しました。


その結果、約20%の病院が、積極的な設備投資を考えていることがわかり、当該メーカーは、その20%の全ての病院に内視鏡を導入する意気込みで、売り込みを開始しました。


それから10年がたち、そのメーカーの方とお話しする機会が先だってあったのですが、大体の目標は達成できたと言う事でした、しかし逆に言えば、20%の壁は越えられなかったということです。


20%・・・・・この数値を皆さん、どう考えますか?。



当院は10年前に購入済みでしたが、当院クラスの規模の病院で、内視鏡対応の症例は年間5症例以下で、実際に内視鏡使用頻度となると、(金額面や全身麻酔のリスクなど)、年間1症例程度となります。


内視鏡は、当院の車よりは遥かに高価です。不謹慎な言い方をあえてすると、内視鏡は、絶対に元が取れる機器ではないですね。


そのほかにそのような機械には、心電計(車1台分)や眼圧計(高級時計1個分)がありますが、同様に月1~数回程度の稼働率です。


動物病院は、全科診療の看板を背負っています。様々な症例が、毎日来院するわけです。


20%の病院は、治療はもしかしたら出来ないかもしれないけど、疾患の所在くらいは突き止めたい一心で、非常にレアなケースの事まで考慮して対応しようと、設備投資を日々考えています。頭がしびれるほど・・・・。


ただ悲しいかな、製品は売りだされた直後から風化が始まります。既に、新しい規格、概念の製品が、5年後には俺を買ってよと、メーカーの研究所で販売されるのを待っているのです。設備投資には終わりが無いのです。


我々にとっては、『もういいかな~(もう買うのいいかな~)』と思う時が、おそらく病院の閉め時なんでしょね。


(人が作ったものって、悲しいね。必ず色あせるからね。ロックもそうだね。曲は完成された時から風化する。作曲をしなくなったロックシンガーなんて、終わりだね。生活の為に、昔の名前で出ている奴なんてロッカーじゃないよね。私も昔の名前で仕事なんてしたくないね)


仕事に対する気持ちや、心意気は眼に見えませんが、その20%の先生方には、同志的なシンパシーを感じます。

2017年12月25日 (月)

病院20年の軌跡

こんにちは北森ペット病院・北森です。当院ブログに来て頂き、感謝いたします。


さて、当院は、来年20周年です。


あっという間の20年でしたが、非常に個人的な事ですが、開院時、私は、日常の診察業務の他に、4つの事を自分に目標と課して病院を初めました。


簡単な方から書くと、


・学会発表をする (9/17)


・学会誌に論文を書く (3/17)


・特定疾患に関して日本でTOP3に入る (2/17)


・特定疾患の疫学調査をして総説を書く (1/17)


です。


カッコ内は、他の獣医師の状況です。彼らが私と同じ目標を持っていなくても別段良いのですが、参考までに記しました。分母が院長を含む同じ大学の知人の獣医師数で、分子はその中で各項目を達成した獣医師数。ちなみに院長の北森♀は残念ながら分子の方には入ってません。


そして、20周年を前にして、19年目の今年、ようやく全ての目標を達成いたしました。17分の1・・・・・・この最後の1項目に関しては、10年の歳月と400万の資金を要しました。


臨床獣医師ですから、ペットの病気を治すのは当たり前です。しかし、獣医学は決して天上のものではありません。地上のものです。私たち自身でブラッシュアップしていかないと
いけません。身銭を切って!


後輩の諸君にはよく言うのですが、経営規模を拡大しするのも病院の一つのあり方ですが、その資金があったら、もう少し自分の存在の不安定さにおののき・・・・だって完璧な医療技術なんて無いですから・・・・生命現象不思議に驚き・・・・驚けるのは知性の発動です・・・・それを言葉にして残して欲しいものです。


次世代を育てる教育的側面からの規模拡大であれば、町に一病院あれば十分です。その他の病院は、時間的にも数的にも、自分で診れない多くの飼い主を、代診の先生を入れてまで抱えることないじゃありませんか!それは、新しい生きの良い若い先生が進出すれば解消できる問題です。それより、もっと根源的な問題に目を向けましょうよ。


なんて・・・・・・この年になったんですから語っても良いですよね(笑)。


ある側面からみると、diffrent manな私ですが、小さいとはいえ、20年間病院が続いたのだから、そして、そんな変な?獣医師を頼って、関東一帯から患者さんが来るのですから、少し誇らしいです。


さて、次の20年は、どうしましょうかね?

2017年12月24日 (日)

クリスマスの意味

メリー・クリスマス!


征服者達の奇習の日ですね(笑)。


でも、これだけ世界に広がった『日』もないでしょうから、人々にとって、人々なりの何か意味のある一日なのでしょう。


私と言えば、昔から、『物』へのこだわりが人一倍強く、唐突にもらう『プレゼント』には辟易していたもので、この日に対し、そういう意味での大した思い出はありません。30歳までケーキ食べられなかったし。


さて、そんな私ですが、子供が出来て、この日に対する私なりの意味が一つありました。過去形ですけど。


それは、『サンタ』になったことです。


『サンタ』って不思議な役割ですよね。名前も明かさずプレゼントを子供にあげるんですから。子供が欲しいものを、親として、普通にプレゼントとして2つあげれば済むのに、一つをサンタになって、人知れず(子供にとってですが)、あげるんですから。


しかも、いずれ、親が『サンタ』だってばれても、サンタ分のプレゼントに関しては、まったく子供に感謝されません。『おう、おやじ、これ、昔のサンタ分のお礼ね!』なんて、逆にゾッとしますしね。


これって、何なのでしょうね?


大きな話で恐縮ですが、これって、『物語』を信じる練習じゃないかと思うのです。


『物語』とは、例えば、国家とか愛情とか親切とか宗教とかで、それぞれ、趣は違うでしょうが、人類を永続的に発展させるために必要な幻想(眼に見えず、数値かできないという意味です)です。


人生のある一時期、『サンタ』なるものを信じれたというのは、将来、その子が自分なりの物語を信じる練習なんだと思うのです。


彼に、その手助けを出来たことが、私なりの、この日の意味でした。


その彼、昨年隠していたプレゼントを見つけて気がついたんだと、今年になって言いいました。友達には、まだサンタを信じている人がいるらしく、教えてあげないの?と聞いたら、信じてれば良いんだよ・・・・・・と返しました。


私も、この日を介して、一つ、親の機能を果たせましたし、彼も、この日のある物語を卒業して、子供から少年にtake offしたのかもしれません。


今夜を楽しもう!!


追申  今は、ケーキ大好きです!

2017年12月23日 (土)

ペットを何故飼うのか③

つづき

人は、社会性をもつ動物です。社会性は言語の伝達・・・・・コミュニケーションに基礎づけられます。しかし、私たちは、言葉が伝わらない相手にも、しばしば話しかけます。


赤ちゃんと、ペットが、その代表格です。


子供が出来た時、私、ハッとしたことを覚えています。当然ですが、(話が通じないけど)赤ちゃんに、話しかけるのですが、その行為って、それまでペットに対して行っていたものと、シーンは少々違いますが、とてもよく似ていたからです。


どうして、言葉が伝わらない生き物に、話かけるのでしょうか?


私は、コミュニケーションの根源的な意味がそこにあると思います。つまり、コミュニケーションって、言葉の内容よりも、あなたに対するメッセージがあるよという身体感覚があり、それが相手に伝わることだと思います。


ペットに対するものも、まだ言葉がわからない赤ちゃんに対するものも、私はあなたにメッセージが今確かにあるよという私の実感と、それを伝えたいという意識と、さらにそれを受け止めたという身体的変化(鳴き声であり、笑顔であり)と、(私による)その変化の確認・・・・・・これがコミュニケーションの根源的な意味であり、社会的な生き物である私たちの生きる力を高めるものだと思います。


コミュニケーションを内容の伝達と考える人もいますが、私は違うと思います。昔よくやった(今はしないのかな)、伝言ゲームってありますよね。10人くらいで、短いセンテンスを伝え合うゲーム。必ず最初と最後では、内容が異なって笑いに変わる、あのゲームです。あのゲームは、私たちに、言葉で伝えたことと、伝わったことには必ず差異があると言う事を教えてくれます。


それでも、私たちがあのゲームを楽しむのは、コミュニケーションとは言葉の内容ではなく、あなたにメッセージがある、これは私宛のメッセージだという身体的な文脈それ自体に、コミュニケーションの根源的な意味があるからではないでしょうか。内容の伝達よりもその行為それ自体が、私たちに喜びを与えているのではないでしょうか。


まだ未開だった時代から、民族、文明、時代を超えて、ペット飼育が行われているのは、そんな社会性を持つ人間のとてもプリミティブな行為(楽しみ)ではないでしょうか。


赤ちゃんが、動物を好きなは、動物の行動が、自分に対するメッセージだと受け止めるからだと思います。もしくは、何かを伝えたいからかもしれません。


と言うわけで、3回に分けて書きましたが、ペットを飼う理由は、現代的なものと、根源的なものがあるような気がします。

2017年12月22日 (金)

ペットを何故飼うのか②

つづき

自己実現、自分探し、心の病、自殺、鬱病・・・・・20世紀は、人間が『自分』に振り回された時代ではないかと思うのです。


そんな時代を生きているからこそ、『自分』を持たない・・・・『自分』というものを意識しない(できない)彼らを、時に我々は、とてもとても愛おしく思うのではないでしょうか。


『自分』とは、俯瞰的な視座から自分を顧みる意識だと思います。


おそらくですが、動物は、『自分とは何者か?』とか『自分の生きる意味は?』と問うことはしないと思います。ただ、ただ本能や肉体的な欲求に支配されて行動するのです。そういう意味で、『自分』と言う意識は無いでしょう。


20世紀初頭、この『自分』は、無意識と言う意識できない意識にも影響を受けていることが知られるようになりました。


またこの『自分』は、、ただただ一人では意識されることなく、家族や社会とのかかわりの中で、他人の中へ投げこまれることによりはじめて直感され、かつ変化するものであると考え方が、主流のようです。


他人や無意識に左右される『自分を』疎ましくなることがありませんか?


『お前は、自由で良いよな~』とペットに声をかける私がいます。何から自由なんでしょうね。飼育下ですから、物理的には自由な訳はないんですが、でも、確かに彼らは『自分』からは自由なんですよね。

2017年12月21日 (木)

ペットを何故飼うのか①

ペット飼育って、太古の昔から老若男女、身分、文化の違いを超えて続く、奇妙な風習?ですね。もちろんその効用は癒しなのでしょうが、なぜ人々は、癒されるのでしょうか?私はそれが知りたくて諸々考えてしまいます。


ペットショップでお客さんを観察していると、『かわいいね、飼い(買い)たいね~』の声が耳に入ってきます。それはまるでブティックで趣味の洋服を物色する時の様な欲望の立ち上がり・・・・欲望の達成は結果的に癒しを呼び起こしますから・・・・があるような気がしますが、ペットが欲しいというのは、はたしてそんな欲望の一つなのでしょうか?


社会性をもった人間の欲望は、常に他人の欲望です。例えば、高額なエルメスのバックにある種のカタルシスを感じるのも、他人がそれを最高級だと位置づけているからです。すべての個人の欲望・・・・・趣味と言ってもよいです・・・・・は、社会性があるから成り立つと思います。物の収集も、価値の高いものを集めるという社会性を内在してますし、スポーツも能力を人と競ったり、より健康でいたいという社会的な文脈があると思います。


はたしてペット飼育もそうなのでしょうか?皆が飼ってるから、なんだかペット飼育って癒されるから良いみたいよ~なのでしょうか?


私はちょっと違うような気がします。それは社会性の無い赤ちゃんでも、なにがしかの喜びをペットに感じているからです。赤ちゃんに、動物を見せると大体喜びますね。うちの子もそうでしたし、まだヨチヨチ歩きの時から彼、ベットで数匹の猫を一緒に寝るのが楽しみでしたからね。


ペット(飼育)は、まったく社会性のない根源的な趣味だと思います。だから太古昔からあらゆる階層・文化を超えて続いているのだと思います。


では、ペット(飼育)ってなんなのでしょうか?


私は、2つのことを考えています。


①  『私』と言うものをもたないペットに対する複雑な感情移入


② ペットとの触れ合いがコミュニケーションの原点だから


つづく

2017年12月20日 (水)

Blog 再開します

こんにちは。北森ペット病院・北森♂です。当ブログを訪問頂き感謝いたします。


2014年に色々あって(オーバーワークや著作権協会からの警告)、一時中断していたブログですが、来年、開院20周年ということもあり、装いも新たに再開致します。


思えば、HPを始めた20年前は、まだ動物病院のHPやブログは一般的ではありませんでした。


そのような状況でHPを開いて、HP上で日記形式で諸々獣医業の日々を綴っていると、それを見た方が、関東一円から来院され、ネットの影響力のすごさに驚き、かつ、うかれていました。



Blogが縁で、角川出版の雑誌にコラムを持てたこともありました(3年続いたな~懐かし~)が、当時はまだ若かったので、かなりきつい書き方をしていたように思います。


さてBlogを再開するわけですが、STOPしていたこの数年で、書いて発信するという行為に対し、少々昔と考え方が変わってきました。


それは


何を書くかより、如何に書くか・・・・の方が重要なのではないかと思うようになったことです。


世はポストモダンで相対主義で絶対は無いからそうなったのではなく、流行りの言葉でいえばダイバーシティ・・・多様性ですね・・・・が社会にあった方が、クライシスに耐えられるのではないかと思ったからです。


生物の世界では、より多様なものを食すことが可能な生体の方が、生存戦略的には優位です。人も、多様な意見を聞いた方が(食した方が)、危機を乗り切れる・・・・・・そのためにはとりあえず口に入れてもらわないと始まらない、つまり内容それ自体よりも、(もしかしたら重要なのは)言い方の方であって、あいつの言説は最低だけど(あるいは私と正反対だけど)、まあ頭の隅に位は置いておこうか・・・・までで十分じゃないかと考えるようになったのです。


というわけで、Blogを再開いたしますので、内容よりも、語り方により注目頂いて楽しんで頂けると幸いです。


あ、そうそう、よくHPを見て初診でいらした方が、HPの印象からか、私(♂)を小難しい人のように思うようですが、いたってPOPでゆるりとした時間が流れている奴ですから、誤解のないように(笑)。

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大好きな甘いもの屋さんで(笑)

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